コスモス文学新人賞、中編・長編部門連続受賞熊谷 保孝(新十六回)

 「本校の卒業生は多士済々だなあ」と、つくづく思う。 新十四回卒業の岸田典久氏も、その一人である。 岸田氏は大阪府立島本高等学校校長等を経て現在奈良大学に勤務されている。
 氏は「平利朝」のペンネームをもたれる小説家でもある。 昨年、小説「妙な祟り」で、小説中編部門の第九十八回コスモス文学新人賞を受賞された。 つづいて「若い桃の木」で、小説長編部門の第九十九回コスモス文学新人賞を受賞された。 中編・長編の連続受賞である。
 両作品ともに、読みはじめると、なかなか途中で止めることができない。 最後まで読者を強力に引っ張っていく力をもつ作品である。 そして現在のわれわれの日常を、もういちど素直な心で見つめ直し、生き方を考え直させる内容である。
 私が、ここでこの両作品のあらすじをまとめてしまえば、つまらないものになってしまい、 作者の意図に反するかも知れない。 また、作者の意図と異なることになるかも知れない。 しかし、あらすじを紹介しなければ、同窓生の皆さんに平利朝(岸田典久)氏の作品の一パーセントさえも伝わらない。 あえて紹介させていただいた次第である。
 「妙な祟り」の主人公の榛原邦彦は冥界(あの世)の人となっている。 大阪のある郵便局に勤務していたとき、高校の教員から出向してきた伏木龍一郎という男を部下にもった。 彼は伏木の嫌味な態度に悩まされ、ついに癌を患って冥界入りした。
榛原が冥界入りして驚いたことに、自分より四、五年前に冥界入りしていた小笠原と知り合ったが、この小笠原も公民館の館長をしていたときに出向してきた伏木を部下にもったのである。 小笠原は伏木の将来のためにいろいろと経験をさせてやろうと考えて、伏木の不得手な仕事をさせていた。 伏木はそれを不満に思うようになり、小笠原に不満をぶつけて詰め寄るようになった。 小笠原は伏木の態度に悩まされ、ついに脳溢血で倒れ、冥界入りすることになったのである。
 榛原が冥界入りして三年ほどしてから、弓場という女性が冥界にきた。 彼女は大阪ではまだめずらしい、高校の女性の教頭であった。 彼女は一生教育に身を捧げたというような生き方をした女性だった。
 しかし、弓場が教頭をしている高校へはじめて校長として赴任して伏木の顔を、彼女はまだ知らなかった。そのため伏木の自尊心を傷つけてしまうことになった。
 そのあと伏木校長は弓場教頭にいろいろと注文をつけるようになった。 弓場は、一般教員との関係も考えつつ、できるだけ校長の意に沿うように努めてきたが、しかしついに蜘蛛膜下出血で冥界入りすることになってしまった。
 これらの事例から榛原は、伏木が自分の気に入らない者に呪いか呪術のようなものをかけ、その祟りを受けたものが落命しているのではないかと考えるようになった。
 そうこうしているうちに、辻真吾という四十代の男が冥界にくる候補として浮かび上がってきた。 辻は、弓場が教頭をしていたときの、真面目で仕事に熱意をもつ教員であった。 彼は校務運営委員として、また教職員組合の幹部として、伏木校長と頻繁に接触する立場にあった。 その辻が修学旅行の引率中にバックをしてくるバスに追突され意識を失ってしまったのである。
 弓場は、辻の人柄や仕事に対する情熱を認め、なんとか冥界に来なくてもすむように祈り始めた。 すると伏木の呪い、あるいは祟りのようなものが少しづつ消えて行き、辻の魂は現世に帰っていった。 弓場の辻に対する無心の祈りが神仏・万物の霊魂に通じたのである。
 榛原その一部始終を見ていた。 そして心境が変化した。 自分は、「伏木の酷い仕打ちを受けて冥界入りしてしまった」と、これまで伏木に根深い恨みを懐き続けてきた。 しかし伏木の呪いだけではなく、自分自身の人柄のなさや、仕事への熱意のなさなど、自業自得としてそうなった面があるのではないかと、このように気付かされるようになったのである。
 このような筋を、途中で止めることができないほどの牽引力でもって、最後まで引っ張っていく筆力で書かれているのがこの作品である。

 なお、「若い桃の木」のあらすじも紹介したいところであるが、紙数にも限りがあるので、ここでは割愛せざるを得ない。 ただ、一言でいうならば、京都の大学を出て、大阪のある市役所に就職して将来を嘱望された青年が、ある事情から市役所を辞め、岡山の農村で生活するようになって、そこに生きがいを見出すまでの過程を通して、現在の人間の生き方を考えさせられる作品である。
 「妙な祟り」は、『コスモス文学』三二二号(二〇〇六年八月号)、「若い桃の木」は、『コスモス文学』三二五号(二〇〇六年十一月号)に掲載されている。